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東京都石神井学園 東京都石神井学園

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園について成り立ち・沿革

東京都石神井学園の歴史

本園は明治42年に創立し、平成21年に100周年を迎えました。

  • 明治5年東京府養育院創立。老人・児童・病弱者等の援護事業を開始する。
  • 明治42年「東京市養育院巣鴨分院」開設。老人と子どもを分離する。(石神井学園の創立)。
  • 昭和17年現在地に新築移転、「東京市石神井学園」と改称する。
  • 昭和18年都制施行により 「東京都石神井学園」となる。
  • 昭和23年児童福祉法の施行に伴い、同法に基づく「養護施設」となり、民生局の所管となる。
  • 昭和62年児童棟増改築工事完了に合わせ、男女混合縦割りの寮編成とする。
  • 平成9年児童福祉法の改正に伴い「児童養護施設」となる
  • 平成12年「社会福祉法人 東京都社会福祉事業団」が運営を受託する。
  • 平成16年園外にグループホームを設置する。
  • 平成17年地域子育て支援事業(ショートスティ等)を開始する。
  • 平成18年東京都の指定管理者委託施設となる。(第一期:指定管理期間3年)
  • 平成19年地域小規模型グループホーム(国型)の運営を開始する。児童定員16名増員
  • 平成21年東京都の指定管理者委託施設となる。(第二期:指定管理期間3年)
  • 平成23年一般児童寮で試行的に男女別の寮編成を行い、運営を開始する。
  • 平成24年東京都の指定管理者委託施設となる。(第三期:指定管理期間3年)
  • 平成27年東京都の指定管理者委託施設となる。(第四期:指定管理期間5年)連携型専門ケア機能モデル事業を開始する。
  • 平成28年改築児童棟(A棟)竣工
  • 平成29年改築児童棟(B棟・C棟)竣工

東京都石神井学園の創立

初代院長渋沢栄一の写真

東京都石神井学園の前身は、渋沢栄一が創設した養育院でした。養育院は1872年(明治5年)、本郷前田邸跡に老人、病弱者、浮浪児など240人を収容することからはじまりました。

これは、この年ロシア皇太子アレクセイ大公が来日することとなったが、首都である東京にいる乞食や浮浪者があまりに多くては国家の体面にかかわるのでこれを何とかしなくてはと始まったと、養育院百年史などに記されています。

東京都石神井学園の昔の写真

その後、本郷から上野、神田、本所を経て大塚へとその拠点を移してきたところでしたが、その大塚の施設に入所している子どもたちが同居する大人から悪い影響(感化)があることや、 施設そのものが手狭となったことから1909年(明治42年)6月5日、巣鴨(現在の都立文京高校の敷地)に子どもたちだけの施設分院を設立、これが東京都石神井学園のはじまりとなりました。なお、この養育院からは、この年の5月に船形学園が創設されています。

時を経て、巣鴨分院も老朽化や地域の繁華街化などから立地条件のよりよい現在地へ1942年(昭和17年)に移転し、名称もこのときに東京都石神井学園と改称して今日に至っています。

なつかしの石神井学園

子どもたちの様子

施設の様子

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東京都石神井学園 園歌

作詞:片山智志、作曲:青英権、一、春は秩父の峯ひかり / 秋ははるかに富士をみる / 古城のあとの森蒼く / 風さわやかに吹きわたる / 武蔵野野辺に建つ園は / のびゆくわれら石神井学園。二、世に荒波のすさぶとも / 嵐に向かえ雨に克て / 心は清く身体は強く / 明日の光りをかざすもの / 野菊よ薫れ花開け / きたえよわれら石神井学園。三、希望は胸に満ちあふれ / いそしみはげむ声は哥声は / 銀杏並木にこだまして / とゞろき渡れ朝夕に / 若い力を合わせつゝ / ほこれわれら石神井学園。

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