2022年11月24日
11月5日・6日 八街神社大祭
2019年の台風で山車が影響を受け、その後コロナウィルスの流行で休止していた八街神社の大祭が3年ぶりに執り行われました。
11月2日には、八街学園が所属する一区の桃園稲荷神社にて祭礼が執り行われました。
5日と6日は山車が町内を練り歩き、学園の児童も踊り子・引手・提灯持ちとして参加しました。
踊り子はお囃子に合わせて踊りながら練り歩きます。6日は山車が学園に立ち寄り、踊りを披露してくれました。
一区の山車には収納可能な桃太郎が設置されています。
移動時には桃太郎の姿は見られませんが、休憩時には立派な桃太郎が景色を眺めていました。
豆知識:八街神社の歴史
明治5年(1872)5月、武蔵野国北足立郡出身で八街、三咲(今の船橋市)、九美上(今の香取市)などの開墾を行った西村郡司氏が、八街村実住字氷川台ほ215番地 (現在の四区)に 祠(ほこら)をつくり、氷川様(ひかわさま)をまつったのが始まりです。
そして明治6年(1873)11月23日、官許(かんきょ)を得て産土神(うぶすなかみ)八街神社とし、明治13年(1880)11月2日、氷川神社の本社より改めて遷座(せんざ)を行い、本社の宮司が八街で遷座式(せんざしき)祭儀(さいぎ)を行い、実住、東実住、住野、西林、夕日丘、真井原、小間子の鎮守(ちんじゅ)となりました。
明治27年(1894年)、当時の合併による新八街村の村域と神社の位置を考慮して、西村家提供により現在の場所に当たる八街村八街へ217番地(六区) に遷宮し、村独立の11月2日を祭礼の日としました。